2012年12月8日 KIBOW南三陸 開催いたしました! | 活動報告 | 一般財団法人KIBOW

Report
2012/12/10

2012年12月8日 KIBOW南三陸 開催いたしました!

初めてのKIBOW南三陸は、熱気と感動のうちに終了いたしました。
当日の様子を代表理事 堀がコラムにまとめましたので、ぜひご覧ください。
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KIBOW南三陸~立ち上がる地元の人々

KIBOWの被災地訪問は、今3巡目に入っている。1巡目は、2011年3月から8月まで水戸、いわき、仙台、盛岡、八戸、そして福島市を訪問して 実施した。2巡目は、2011年9月から2012年7月まで、福島市、水戸、いわき、石巻、遠野、山元町、そして山形で実施した。

3巡目のKIBOWは、2012年の10月から水戸を皮切りにスタートさせている。3巡目では、水戸で実施した方法を模して「夢企画コンテスト方式(水戸方式)」により実施している。

先ずは、現地の有志に「実施したい夢企画」を発表してもらい、質疑応答を行う。その後自由時間に参加者と発表者が交流し、投票する。その後集計し、 順位付けをして発表し、KIBOWから賞金(寄附)を手渡し、抱負を語ってもらう。コンテスト参加者は、その賞金を使って、その場で出会った仲間と「夢企 画」を実現するのだ。新たな夢企画が立ち上がり、仲間が集い、後押しをして、連携して前に進む。この手法を採用しているのがKIBOW3巡目だ。

KIBOWの活動をして痛感するのは、「風化させることなくしつこくやり続けることの重要性」だ。一回きりでなく、何度もやることが重要なのだ。一 回は誰でも行く。だが、しつこくやり続けないと、本当の意味で被災地の人々と一体化できず、真の復興が実現しない。そう思っている。

被災地に行くたびに、時の経過とともに違う課題が発生していることを認識する。その課題の変化に合わせてKIBOWも変えていく。3巡目のKIBOWは、来年も続く。現時点で決まっている日程と場所は、来年2013年2月7日の福島市と、2月23日の女川だ。

仙台のホテルを朝7時にチェックアウトして、沿岸部に向かった。雪道を車が走る。宮城県登米で友人の選挙事務所を訪問し、事務所スタッフを激励す る。この友人(候補者)は、今年のG1サミットにも来られ、我が家で開催されたサロン的な会合(G1政治部会)にも来てくれた。「積もるほど雪が降るの は、この冬初めてだ」と言う。

南三陸に到着。まだ瓦礫処理が終わっていない。雪の中、瓦礫が残る防災センター前での光景をカメラに収めた。これから、南三陸の復興の状況を、現地で復興支援活動をしている人に解説してもらいながら、視察する予定だ。Hori_01

海沿いのホテル観洋に到着する。僕が来た昨年5月に建物の損傷も大きかったが、今は営業しており、繁盛していると言う。「良かった」と安堵する。海 では、牡蠣の養殖が始まっていた。7割程戻っている。だが、平地は相変わらず真っ平らだ。瓦礫も残っていた。戸倉・折立地域には、一切建物が立っていな い。

漁港を視察。仮設の魚市場が開設され、サケなどの陸揚げが進んでいる。サケの加工工場も綺麗に復旧され、稼働している。地盤沈下しているので、桟橋 の嵩上げ工事が行われていた。ゆっくりだが、着実に前に進んでいる感じだ。雇用を生み出す産業復興を優先するのは、間違っていない判断だと思う。

難しいのは浸水地域の用途だ。土地所有者や住民の意向が交錯し、なかなか計画が定まらない。浸水地域は、全てが危険地域に認定されているので、住居 を建てられない。従い、仮設住宅での生活が続いている。ほんの一握りの人が、山を切り開き住居を建てている。域外に流出した住民は、2、3割はいるのだと いう。

南三陸の仮設商店街の「さんさん商店街」にて、昼食。このなかにある「志のや」さんにて、三陸沖で獲れた海の幸を食べた。Hori_02

南三陸キラキラいくら丼。いっただきま~す。Hori_03

南三陸の北側に位置する泊半島にある鄙びたいい感じの旅館にて、KIBOWが開かれる。「どうしてここ?」と聞くと、「地元の人は、この旅館(ニュー泊崎荘)の方が、いい感じの昭和の雰囲気があり、来やすいのだ」と返事が来た。

KIBOW南三陸が開始。KIBOWで回る被災地訪問は、3巡目。3巡目は、被災地で頑張っている人々へ寄付金を与えることに主眼をおく。当初8組の発表の予定が、急きょ4組が加わり、12組のプレゼンがスタートする。

冒頭に僕が、KIBOWのTシャツと帽子を被り、KIBOWの目的そして今回の「夢企画コンテスト」の趣旨を説明した。
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そして、グロービスの講師でもあり、南三陸で社会起業家として貢献している山中礼二さんの司会進行で、KIBOW夢企画コンテストが始まった。

最初の発表者1)は、漁業に従事していた高橋さん。「今は、海に行けずに、土木作業を行っている状態。今のままでは、漁業が衰退してしまう。そこ で、仲間と考えたのが、『ブルーツーリズム』。てぶらでフィッシングできるような釣り船を用意し、体験してもらい、自ら釣ったものを食べるツアーをつく る」。と力説された。

発表者2)伊藤さんは、「南三陸でお買い物」というインターネット上のサイトを開設中。「会員475名。月50万円の売り上げ。南三陸のファンを もっと増やしたい。南三陸は、気仙沼と石巻にはさまれている小さな町。だから人や発信が重要だ。ツアーも実施し、南三陸のファンを広げたい」。

素晴らしい!

発表者3)南三陸ふっこう青年会を代表して工藤さんだ。「今まで、震災後は年配の人が目立っていた。『これからの南三陸をつくるのは若者だ』、と言 う気持ちで、同級生を集めて、青年会を発足した。将来的には、千年も続く祭も企画したい。また、外から来てくれた方が、町民と交わる機会をつくりたい」。

多少訛っている言葉の端々に思いがつまり、気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

発表者4)まゆ工房だ。松岡ゆかりさんが始めた、まゆを使った工芸品だ。作品を見せながらのプレゼンだ。「アワビの殻も使って今販売中。ブライダル やゆるキャラもやってみたい。今は、ボランティアを使って売っている」。会場から「カメラマンですが、ブライダルなどで連携しましょう」、という発言が飛 び交う。

発表者5)南三陸の海の幸をネット上で販売する「たみこの海パック」を立ち上げた阿部民子さんだ。「震災前は、ワカメの養殖を手がけてきたが、全て を失った。震災後は、海が怖くなり、海にいけなくなった。だが、今まで蓄積したものを使いたい。そこで、今までの体験を元に、『たみ子の海パック』を起業 した。それまでは、精神的にも、金銭的にも辛かった。でも、今は前向きに考えられるようになった。南三陸を離れた方に対して、戻ってきた時に雇用の受け皿 となりたい。宅急便の中に、『南三陸便り』を入れて、情報発信をしている」。

発表者6)「障がい者の支援」の太斎さん。「障がい者の支援のために、学童保育のようなものを、施設を借りて今実施中。南三陸の障がい者支援体制を 固めたい。今、土地を無償で貸してもらい、将来的には施設を作ることを計画中。今、有力者を訪問中だ。「奏海の社」と言う名称にしたい」。

発表者7)阿部俊幸さんの「牛」。震災前に酪農をしていたが、津波で、家も牛も全て失った。今、集落営農を始めようと思っている。これから経営を勉 強して、地域を発展させようと思っている。弱冠25歳だ。将来に向けて、技術に加えて、経営を学ぼうと思っている。牛のことしかわからないが、ヨロシ ク!」。

発表者8)佐藤さんの「絵馬プロジェクト」。「神主をやっている。今瓦礫の塩に浸かった木を、塩は聖なるものなので縁起が良いので絵馬にしようと企 画している。津波の被害があっても神社のみが残り、寂れた感じになっている。高台移転しても、コミュニティ(集落)が減らないで欲しい」、と訴えた。

これからは、当日エントリーの飛び入り発表者だ。

発表者9)三浦さんの「わかめロール」。三浦さんは、この旅館が実家だ。震災前はロールケーキを作ってきた。震災でおいちゃんたちが、家も流されて しまった。何か役に立ちたいと思い、南三陸で獲れたワカメを使ったロールケーキを作りたいという。自分は、家も流されていない、職もあるから、恵まれてい る。だから何かをやりたいのだと。

いかん、感動して目頭が熱くなってきた。

発表者10)新井さん、「コミュニティFM」。「千葉県野田市でラジオ局のディレクターをやっていた。震災後こっちに来た。今、震災FMをやっているが、来年3月に閉鎖するらしい。それでは困る。サイレンのみの情報では足りないので、ミニFM局を開設したい」。

発表者11)「蘇れ南三陸」。「漁業が南三陸の中心だ。だが、復興にはこの町だけでは、足りない。そこで、外のお金を引っ張ってくる必要がある。復 興PFIを始めることにした。公設公営だったものを、民設民営に変えて行きたい。それを南三陸でやりたい。その中心は街の人に担ってて欲しい」。

発表者12)浜野さん、「家族写真」。「この秋から、名古屋から南三陸に移住した。風光明媚な南三陸に惚れ込んで、ここに来た。今は、仙台で結婚式 の写真を撮りながら、生計を立てている。小さい頃両親が撮ってくれた写真をよく見ていた。写真にはパワーがある。だから移動写真館として、家族写真を撮 る」。

各発表者3分間のプレゼンと2分間の質疑応答が終わった。全部で12組、約1時間の発表だ。それぞれの思いが、伝わってくる。交流タイムが設けられて、それぞれの発表者と参加者とが交流する。

そして、いよいよそれぞれの夢企画に赤いシール(いくらシールと呼んでいた)を貼ることによって、投票をする。各自が3票持っているので、それぞれの思いを載せて、夢企画を後押しすることになる。

12時から始まったKIBOW南三陸。もともと僕がその地を発つ13時50分に終わらせる予定だったが、僕の判断で、続けてもらうことにした。余りにも盛り上がっており、交流も進んでいるので、「ここで止めては、勿体ない」と思ったのだ。

そこで、僕は軽く挨拶をして、KIBOW南三陸を後にして、一足早く仙台へと車を走らせた。東京の我が家で、19時からルース米国大使ご夫妻をお招 きした食事会があるからだ。主催者である僕が遅れるわけにはいかない。被災地の復興も大事だが、日米関係も大切だ。しかも相手は第39代米国大使だ。レン タカーを走らせる。

南三陸は、本当に風光明媚な漁村だ。帰りがけに見た風景をパチリ。青い海に、白い船。澄み渡った空に、緑の山。朝の雪が嘘のように晴れ渡りました。さすが、晴れ男!? Hori_05

その後のKIBOW南三陸の状況は、@kibowjpのツイッターによって中継されていた。

「環境アセスメントされないままに、防潮堤と防波堤の話がすすんでいる。本当に地元が堤防を望んでいるだろうか? みなさんの声をあげよう。騒ごう。諦めずに騒ごう。やろう!」南三陸の千葉拓さん。飛び入りで熱い思いを会場に投げかけてくださいました!Hori_06

夢企画コンテストの結果も気になった。堀特別賞から発表された。

特別賞の堀賞を受賞した阿部さん。「若い人が地域をつくる!」Hori_07

銅賞を受賞した、伊藤さん「これからも南三陸をもりあげていきます!」Hori_08

銀賞の髙橋さん、「皆さんに思いが伝わったことが嬉しい。漁業を守りながら町を作りたい」Hori_09

金賞と特別賞のアレン賞のタブル受賞の工藤さん。
「KIBOW南三陸に来ていたのは、本気の人達だった。その人達と繋がれたことが嬉しい。こういう人たちがいることが嬉しい。南三陸にきたら僕たちに会いに来てください。交流ある南三陸を目指したい」
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これらの@kibowjpのツイートを確認し、レンタカーを返却し、東北新幹線「はやて」に乗車した。東京駅到着予定は、18時08分。時間ギリギ リに自宅に到着だ。ま、新幹線の中でジタバタしていても仕方がない。KIBOW南三陸の皆さんの表情や言葉を胸に、仮眠を取りながら帰宅した。

追伸:米国ルース大使をお招きした食事会は、とてもいい感じでした。食後に、ルース大使ご夫妻をお茶でおもてなしした時の写真を紹介します。僕の隣にいるのが、伊原木さん(岡山県知事)ご夫妻。亭主役が、山田家元(茶道宗徧流十一世家元)です。
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